Mais on ne peut pas rêver tout le temps’
(い つも夢⾒てばかりはいられない)

日本語版

というアイデアがジャズから沸いて出てきたことだっ た。僕はクリスチャン・ヴァンダ-のおかげでジョン・コルトレーンの魂の息⼦である ファロア・サンダースを⾒いだすことができた。クリスチャンとはマグマができる以前 のシーンでファロアの‘Lower Egypt’ を⼀緒に演奏したことがあるが、レオン・トーマス のスキャットは部分的には、のちのコバイヤン⾔語の誕⽣に⼀役かっている! ファロアについてはニューヨークのジャーナリストがアートの都市化思想を紹介してい た。⼤都市ビッグ・アップルを⼀度も離れることなしでアフリカを表現する黒⼈ミュー ジシャンたちと、唯⼀パリの熱帯植物園の温室を観覧してジャングルを描く画家ル・ ドゥアニエ・ルソーを⽐較している。 さて僕といえば、チュイルリーのジュ・ド・ポーム美術館においてさえも⼀度も実画に お⽬にかかったことはないのだが、‘蛇使いの⼥’のまえではいつも夢想していた。この ジャーナリストの記事はむしょうに僕に、ルソーの絵画を⾳楽としてあらわしたい、と いう欲望を抱かせることになる。ある英国⼈記者が僕のことを‘ミュ-ジカル・ペイン ター’とコメントしてくれたのは今までに最⾼にうれしい賛美だった。

このレコードはドミニク・ブヴィエ抜きでは実現しなかった。ドミニクはドラ マーでもあり、彼のフュージョンバンドは何度かレコーディングしたことがある。 僕は他⼈のためなら仕事ははかどるのだけど、⾃分の名でアルバムをだそうとなるとそ うはなかなか問屋が卸さない。それをドミニクは「お前は絶対やるべきだよ。やるんだ よ!」と⾔うから、やってしまった! まずはそれぞれの曲をギターでガイド録りをし(これにずいぶんの時間を費やした が)、そのガイドギターの上にドラムパートを共同で作りあげていった。ドラムパート は単独でレコーディングされたが、僕がドミニクにセット・アップやタイミングなどの 注⽂をつけてそれに応じて⼀節ごとに録⾳していくと、最終的には僕が望んだしいもの に仕上がっていった。歌やその他の楽器の部分は、そのあとあらためて形付けができて くることになる。 余談になるがマグマの‘アタック’の録⾳では、これが完全に逆でクリスチャンは⾃分の ドラムパートを 最後に レコーディングした。これがまさに、⽤意されていたデザート で、ケーキの上に乗った最⾼級のさくらんぼ。おかげで僕はクリスチャンの織り成すサ ウンドと空間に(ドラム以外の)全てのパートを調節し合わせていかなければならな かった。今思うに、この時⼆⼈で録⾳した‘アタック’での、クリスチャンのドラムプレ イが⼀番忠実に、彼の独特なカラーをかもし出しているのではないか。ここで特筆した いのは、両極端なレコーディング⽅法にもかかわらず、ドラムはいつもゆったりとして ナチュラルに聴こえてくることだ。

フランシス(モーズ)とは⼩学校以来の友達で、11,12歳ぐらいからのつきあい だ。今でもお互い近くに住んでいる。シンガーだった僕の母親は、僕や姉がアーティス トになることをことごとく反対していた。ところが、ところが! フランシスがピアノのレッスンに次いでギターも習い始めたとき、僕は彼の真似をして ビートルズやストーンズのコードをおぼえはじめた。その後まさにさまざまなジャンル の学業を追求したあと、姉は画家、グラフィックデザイナーとなり、結局のところ僕ら もミュージシャン、となり終えた。実はこの姉が例のマグマの鉤⽖のようなロゴと、そ のロゴとはまったく対照的でありながら切っても切れない絶妙なバランスを保つ、平和 と完全さのテレムのロゴを制作している。 フランシスは本来キーボードに徹していて、僕はベーシストだった。ずいぶん後になっ てからだが、僕はクリスチャンと話し合ってマグマのプロデユースとマネージメントに専 念するかわり フランシスに僕に代わってベースを弾いてもらうことに決めた。ミュージシャンとプロ デユーサーの かけもちはムリだったし、僕はフランシスがどんな楽器でも演奏できるのを知ってい た!’Mais on ne peut pas rêver tout le temps’(いつも夢⾒てばかりはいられない)でフラン シスがベースでデビューしたのは無視できないことだ。彼のそれはそれは美しいダン・ アムストロングはアルバム全体を通して光り輝き魅惑に満ちていて、’Aquadinguen’(⽔ 辺の⼄⼥)のテーマとなるメロデイアスなベースラインを提供してくれた。’Retour à la Réalité’(Return to Reality)で実際に本物の⽪の鞭を使って単調だが規則正しくムチ打ち ⾳をたて、抑圧された⼈々の⾏進を盛り⽴ててくれているのもフランシスだ。そこへセ ルジュ・デリヤンが担当するコーラス層が絡み合う。 実はこのコーラス層をうまくキャッチしてミキシングするのはセットアップにしろ⾳作 りにしろ容易なことじゃなかった! また⼀⽅で、現在あらゆる⾳源を再調整したり変 換するのが楽なのはサンプラーコンピユーターのおかげだと思う。なにしろ1978年に はまだ存在していなかったのだから!各パートの⾳を再調整なしでレコーデイングする か、(あらかじめ録ってある)録⾳テープから途⽅もない⼿作業で必要な⾳を取り出 し、それをまた改めて組み込んでいくしかなかった!セルジュ・デリヤンはダン・ アー・ブラツ、ホアン・ニンと組んでテレムからグループ ‘MOR’(モール)をプロデ ユースした。セルジュは今回のアルバムの中で、所々⼩節ごとや複雑なハーモニーなどに 応じて重なり交差し合う、無数のコーラス層をみごと創り上げ、しかも⾃分でフルート も吹いている。 最後にはこれまた伝説的となった、もともと陽気であけっぴろげな彼の笑い声が、射撃 の⼤⾳響、爆発⾳、苦痛の叫びと混ざり合ったとき、聴く者を恐怖で縮みあがらせる冷 徹な⾼笑へと変化を遂げる.....。    アマンダ・パーソンズはソフトマシーンとキャラヴァンから出来たグループ、 ハットフィールド・アンド・ザ・ノースのシンガー。フランシスの計らいでイギリスか らやって来た。 ’Orée’(境界)の独唱の部分では彼⼥にソプラニッシモしかもレジェリッシモ、最⾼の 繊細さで歌うことを課した。クラシックミュージシャンである僕の妻ジャクリーンはア マンダのために僕が指⽰したメロデイーを楽譜に書き留めることに⼀役買ってくれたが、 僕が実際アマンダに望んだ歌唱法になるまで何度もスコアを書き直さなければならな かった。 ジャクリーン同様アマンダにもとても感謝しているが、この困難な責務に従わなければ ならなかった彼⼥の独唱は結果として、⼤変ナチュラルな出来になっていると思う。 ジャクリーンは ‘Orée’(境界)でアンプはレスリーを使ってフェンダーロデスをプレイしてくれてい る。 マグマのシンガー、リザ・デラックス・ボアのホットで官能的な歌声はこのアルバムの 中、4つのコンポジションで聴ける。(僕はこの2年前にマグマのアタックをプロデユー ス、レコーデイングしている。) リザが担当する歌の部分、例えば‘Pourqoui?’(ポーコ ワ?)の⼀節などで⼜を閉じながら⼀度もブレスなしでハミングし続けるのは不可能 だったので、何度かに分けて録⾳し直さなければならなかった!リオネル・ルデイセスは テレムからでているエルゴ・サム、ユニヴェリアゼクトのシンガーだが彼は以前メキシ コに住んでいたとき、インデイアン達からインスピレーションを受けたという独唱を披露 してくれている。 シャトーでアメリカ⼈ヴァイオリニスト、デヴィッド・ローズのアルバム‘Distance between Dreams’ (’夢と夢の間の距離)をレコーデイングしたことがあるが、のちに僕のアルバムでのプ レイを依頼すると⼆つ返事で承諾してくれた。デヴィッドはすでにこの世を去ったが、 このアルバムに⽿を傾けるたびに、彼と再会できるような気がするのは⼤変にうれし い。 リチャード・ロウは初期のマグマ以来の旧知の仲で、レコードB⾯の‘La Caravan de l’Oubli’(忘却のキャラヴァン)でインドの⽊管楽器シェーナイを吹いている。 ナント市に住むギイ・ルノダンはセルジュ・デリヤンの友⼈で‘Orée’(境界)のラスト テーマを、ソプラノサックスでオーボエに近い⾳⾊で演奏してくれている。    スタジオまで続いているシャトーの壮⼤な階段を登って近ずいてくる、8才にな るアンヌ・マリーのおもちゃのピアノの⾳。この⾳は‘Aquadinguen’(⽔辺の⼄⼥)に挿 ⼊した。余談ではあるがイギーポップ、‘TheIdiot’の‘チャイナ・ガールのギミックでも、 このおもちゃのピアノはデヴィッド・ボーイに使われている。んな ジャン・クロード・ドウラプラスはシャトーの仲間の⼀⼈で経営管理に携わってくれてい る。僕の崇⾼なる 芸術的 ポジションに何かと異議を申し⽴て、「いつまでも、夢ばかり ⾒ちゃいられないんだぜ。」と、繰り返していたのを僕はこれまた茶⽬っ気で、レコー ドのタイトルに使わせてもらうことにした。 ‘La Caravan de l’Oubli’(忘却のキャラヴァン)の最後では、夢想から戦争へと突然激変 するのをイメージして、サタデーナイトフィーバーから抜粋のLP‘デイスコ・インフェ ルノ’の⽚⾯をワザと思いっきり⼤きな⾳を⽴ててキズをつけた。このレコードは、ビー ジーズが演奏したものではない。この頃はまだ、CDは出回っていなく、リスナーたち はターンテーブル上の針がスリップしたのかと、あわてふためいて⾃分たちのレコード プレイヤーへと確認しに⾛っていく様⼦を想像してしまう!    ル・ミュージン・ミステリユは、これまた別のすてきな逸話があるのだが、実はた いへんにミステリアスでもある.....。 何かにつけてよく聞かれるのだが、どうして最後、追撃砲やバズーカの爆発⾳と共に彼 の独唱を付け加えたのか、と。この時僕は⾳楽、⾳響的にこれだ!と感じただけであっ てそれ以外の理由はなにもない。ただ今⽇、このアラビックソングは予期していなかっ たご時世を表わしているとはいえまいか.....。

ギターは別として、僕は特に‘忘却のキャラヴァン’と‘いつも夢⾒てばかりはいら れない’の中でベースはフラットレスじゃないものしか弾いていない。あとは、ところど ころで聞ける声を担当している。レコーデイングとミキシングはもちろんのこと、今回ア ルバム再リリースのためにリマスタリングにも⼿を掛けている。‘忘却のキャラヴァン’ のメロデイアスなパートはアンプ‘サン’からサチユレーションされたダンエレクトロベー スでの演奏だ。‘La Menace’(脅威)でのソニー・シャロック⾵のベースソロは‘Idiot’の 録⾳のときでも使⽤されたことのある、僕の古びたハッケンバッカーが活躍している。    ‘Mais on ne peut pas rêver tout le temps’は⾧いこと僕の名前で出した唯⼀のレコード とされてきた。‘Enrêveur’(オンレヴァー)のCDは、同じタイトルの⼩説と連なってい て、実際にはこのCDが僕の⼆つ⽬のアルバムとされている。現在のところ、次なる個 ⼈録⾳に専念しているが 僕のことだから、今までのものとはまた全く違ったものになることには間違いない! ひとつは英国⼈ミユージシャンとの共同制作になる英語版アルバムで、友⼈ヘンリー・セ ラフィニがリードギター、その他のミュージシャンはインストウルメンタルサウンドのク リエイトを担当している.....。クリスチャンが今回創作を⼿伝ってくれているLPと同名 の、僕の⼆冊⽬になる⼩説‘Lézard’(とかげ)が、ようやく書き上がろうとしている!

LE CHÂTEAU studio in Angers

6, rue des Buttes de Pigeon
49100 ANGERS

02 53 91 66 06

Musicien

INGÉNIEUR DU SON ET RÉALISATEUR